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里海のはんなん里海公園 [野道!山道!恋はけもの道!]

「里海(さとうみ)」ということばがあるそうな。

知りませんでした。
なにも知らずに生きていますね。
恥ずかしいかぎり。

「里山」があるのですから
「里海」があっても不思議じゃないですか。

「里川」や「里丘」があっても当然ですよ!きっと。



大阪府の南部に「せんなん里海公園」があるそうな。
行ったことがあるかも知れません。
どうも私の南部方面の印象は薄い。
海岸方面はよけいに記憶があいまいです。

南海・淡輪(たんのわ)駅から海に向かって行けば
見晴らしのいい公園に出ました。

眼下に淡輪港が。
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遠くに関西空港がかすんでいます。

港に降ります。

港にはヨットハーバーとかの
海のレジャー施設が並んでいるような。
少年少女が海の中にいます。
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興味がないので通り過ぎ
北!いや東かな!和歌山ではない方に向けて歩きます。



海水浴場らしい。
「せんなん里海公園」に入ったのかも。
なにげなく振り向いたら!げっ!
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スタジオ ジブリの作品に出てきそうな
奇想天外な建造物。

たぶん!人工の砂浜がつづいています。
どこが!なにが!「里海」でしょうか。
里山のように
人と動植物の共存はどこにあるのでしょうか。

人影は少ない秋のビーチで
少女が手をつないでジャンプしていました。
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なにが面白いのか。

ん?!
近い将来!私の企画するいいかげんなハイキングに
アラフォー(around 40)のおね~さん方が
増えそうな予感。
それも数人。

すると山の頂かなんかで
10 人ばかりのアラフォーに手をつながせ
ジャンプさせたら面白い写真が得られるかも。

題して「50 歳へのジャンプ」
いや「最後の恋にジャンプ」がいいかな。

ま!素直にいうことを聞くタマとも思いませんけどね。



観客席のついた競技場があります。
「潮騒ビバレー」とあります。

なんすか!?ビバレーって!

「ビーチバレーに決まっています」

ふ~ん!決まっているんですか。

ここはビーチバレーのメッカだとか。

でも!コートの中には
フットサルのゴールのようなものがあるだけですがね。
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競技場の外の砂浜には
たしかにビーチバレーに使うようなネットが
いくつか張られています。
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水着状の服装でランニングにいそしむ少女もいます。

あ!遠くにいる人ばかりですので判然とせず
先ほどから女性をみんな少女と書いています。



せんなん里海公園は
阪南市と岬町にまたがっていて広大な面積があります。

直線で歩いた感じでいえば
海岸線は 2km くらいはゆうにありそうです。

中ごろに石をたくさん集めています。

その中にまた!奇妙なオブジェ?!
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よく分らぬ公園です。

これが「里海」というものですか。
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日想観 直木三十五 ぎょうざ定食 [昼定食]

石造では日本最古といわれている
四天王寺の鳥居が見えます。
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善男善女が佃煮をするほど流れて止みません。

この鳥居が極楽の東の門らしい。
鳥居の奥に見えているのが極楽門。
極楽門からこちらを向いて石の鳥居を見ていたら
秋分の日に鳥居の中に夕日が沈みます。

それが今日(2013/09/23)!

その夕日を拝む
日想観(じっそうかん)という法要が執行されます。

お天気がよろしい。
今日の日想観は大勢の人でしょう。
信仰心のないものは遠慮しましょうか。



このあたりは高台で
すぐ西側は海だった時代がありました。
海に夕日が沈みます。
それで夕日ケ丘(夕陽岡・夕陽丘)という地名。

もっともその地名は
藤原家隆の歌から出たというのが定説。

  契りあれば 難波の里に 宿り来て
  波の入り日を 拝みつるかな

家隆(1158 ~ 1237)は武士の横暴をはかなみ
日想観を会得すべく
この地に四阿(あずまや)を建てて暮らしたそうな。



今!そのあたりに家隆塚がありますが。
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  女学校がこの丘の下に初めてできた
  だれかが家隆塚へ行くと
  一目に見えるぞといいだした

直木三十五(1891 ~ 1934)が中学のころの思い出を
「大阪を歩く」に書いています。

かれらは丘の上から女学校に向かって
「小便」したそうな。
並んで。
なん度か。

なんのために。

今はなにも見えませんがね。
夕日も!女学校も。
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善男善女の波を避けて
茶臼山のラブホテル街を横断して帰ります。
今日はなにかセール(?)があるのか
ラブホ街にも人の通行が多いですね。
こちらは決まってカップルばかりですが。

イヤになって地下(あべちか)に潜ります。

ん!
ワンコインランチが!
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「北神ぎょうざ」にいずれも 500 円の
「ぎょうざ定食」「蒸し鶏定食」「焼豚定食」が。

ま!ぎょうざ専門店らしいので
「ぎょうざ定食」にしましょうか。

これが遅い!
なかなか出てきません。

人出が多くて
ごはんがなくなってしまって炊いていたのかも。
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ごはんは食べ放題でしたから
いらいらしておなかが空いて
珍しくお代わりしてしまいました。



(敬称略)

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沖縄そばの定食500円 [昼定食]

大阪市の中で「沖縄」といえば大正区。
沖縄出身の人が多いといううわさ。

その中で
「リトル沖縄」とかいわれていなかったですか
平尾本通商店街。
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「サンクス平尾」ともいわれているようですが。

沖縄の食品もないことはないですが。
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驚くほどの沖縄色もなくなっています。

それに「シャッター」が増えて
ここもご多分にもれず
寂しくなって行っているのでしょうか。



アーケード街からはずれて歩いていたら
沖縄風な飾りの店が。
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「うるま御殿」!?
御殿ですか。

「沖縄料理と島唄の店」ですか。
ランチがあるようなので入ります。

あ!イス席と桟敷があって!舞台があるのですね。
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沖縄そばの定食をいただきます。
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500 円!

島とうがらしの入った
琉球泡盛を振りかけて食べます。

なつかしい!
昔!八重山諸島を旅して覚えて
取り寄せたりしてよく使ったものです。

あんまり!たくさん振りかけて!
ごほごほ!むせびながら食べます。
バカ丸出し。



防潮堤によじのぼって
商店街で買った 7 個 250 円のちょっと小ぶりな
サーターアンダギーを食後のデザートにしましょう。
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ドーナツみたいなものですね。

缶チューハイでも買ってくればよかったような午後。

あ!サーターアンダギーの向こうに
写り込んだのは千歳橋。
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ということは
潮の香りはあるものの
ここはかなり大阪湾から奥に入った
大正内港ですか。

潮風に乗ってどこかへ行きたい気分。

お~い!
「秋」はどこで出会えますか~っ!

あんまり!大声を出すと
どこかにでんわされそう。
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天香久山と大和長寿道 [猫も歩けば棒立ち]

天香久山(あまのかぐやま)の上に立っています。
見晴らしはよくありません。

藤原京のあった方面だけ少し切り開いてあり
畝傍山(うねびやま)が見えます。
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最初にこの地・藤原京跡にきたのは真冬。
いきなり大和三山を回遊し!疲れました。

大和三山とは天香久山と畝傍山と
あとひとつは耳成山(みみなしやま)です。
どの山も 200m に満たない丘のようなものです。

特に天香久山にはがっかりしたものです。
車道から 10 分も上れば頂上でした。

他のふたつははっきり独立していて
きれいな三角錐の形をしているのに
天香久山はなんだかぼやけていて
山に上がった気もしなかったのです。

あれから
畝傍山と耳成山には上る機会はあったのですが
天香久山を無視して××十年が流れました。

ふと!気まぐれで足が向いただけですが
やっぱり、、、。



あの冬の日!ひとつだけ感動したことを思い出しました。

暮れるのが早い冬の藤原京跡に立つと
大和三山にはっきりと取り囲まれていました。

大和三山は上ってみてもさほど感激しません。
藤原宮から見るものなんですね。

後の京(みやこ)の宮は
四神相応の玄武を背負う形に造られ
たいていの京の北にあるような気がしますが
藤原宮は京の真ん中にあるんでしょうか。



今は秋
藤原京跡に立てば
周囲に建造物も増えていますが
あの冬のように北に耳成山。
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南西に畝傍山。
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南東に形のはっきりしない天香久山。
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藤原京の人たちは
朝に上る太陽に手を合わせ
夕に沈む太陽を礼拝したそうです。

それでかどうか
東の安倍文殊院と西のおふさ観音を結ぶ
ほぼ直線の道 5km を大和長寿道と名づけていますが
くるまばかりが途切れることなくうなっていて
命の縮む思いはするものの
とても長寿できるとはいいがたく
観光やウォーキングに適した道とはいえません。

ギャグで命名したんでしょうねぇ。



大和長寿道の中間に
吉備真備(きびのまきび 695 ~ 775)が
唐から帰朝後創建したという
御厨子(みずし)観音妙法寺がありました。
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吉備真備という名から
岡山県あたりの人物と想像してしまうのですが
このあたりにも伝説が多いのでしょうか。
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お好み焼きの泉州玉 かしみん玉 [食い逃げ未遂]

孝子越(きょうしごえ)街道の石碑がありました。
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貝掛住民センター(大阪府阪南市)の前。
もっともこの石標の出自は一切不明らしい。
この前の道が孝子越街道なので
ここに立てているとか。

大阪府と和歌山県の県境に孝子峠があります。
南海電車に孝子駅もあります。
孝子越街道はその孝子峠を越える道でしょうね。

通称・浜街道とも呼ばれたとか。

紀州街道から今の泉佐野市あたりで分岐
海岸寄りを通って紀州へ向かっていたのでしょう。



南海・鳥取ノ荘駅から歩いていますが
面白い道でもありません。

遠くの山肌がきらきら!
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彼岸花の咲いているのどかな田園に
かさぶたのように新興住宅のかたまりがあります。



特筆するようなものもなく
南海・箱作(はこつくり)駅に。

箱作という名はそばの加茂神社の故事から。

京都の賀茂神社から御霊箱が
この前の海岸に漂着したといいます。
それで箱着く里
「箱着里」そして「箱作り」とか。

加茂神社の狛犬はお金持ち。
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狛犬が賽銭箱を抱えているとは珍しや。



この朝!急に知人が同道することになりました。

私ひとりなら 1 食くらい抜いても構わないのですが
ここは気をつかって
ランチなんかいかが!と誘います。

箱作駅前の歩道橋に上って見渡せば
中華料理店とラーメン店と
「お好み焼・串カツ」と書いた店があります。
3 店ともハデな看板が目立ちます。

いや!閑散とした駅前に
店舗なんてそれしかないのです。

そのお好み焼きらしい店に行きます。
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あれ!同じ敷地に
「メリケン家」と「かんてき屋」という
2 軒の同じような造りの店舗が並んでいました。

どちらにも行列ができていました。



メリケン家でいらいらしながら待っていると
他の人はもっと不快が増したらしく
つぎつぎに前の人が帰ってしまったので
案外!早く着席できました。

が!なんですか!
店内は怒号が飛び交っています。

料理が遅い!
いっしょに頼んだ 1 品だけがこない!
もう帰るから注文を取り消す!

にぎやかですね。はは。

せっかく泉州(和泉の国)にきたのですから
「泉州玉(650 円」」と
「かしみん玉(680 円)」を注文して
半分ずついただきましょう。
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泉州はタマネギの産地。
明治の 20 年代(1890 年ごろ)に
流行するコレラの特効薬だとかで
「泉州黄」が飛ぶように売れ
一大産地になったと聞いたような。

あ!?
私の古いノートでは「泉州黄」が作出されたのは
明治 36 年(1903 年)?!

すると産地になったのは
「泉州黄」の手柄じゃないのでしょうね。



閑話休題。

お好み焼きの「泉州玉」は
キャベツの代わりにタマネギが入っています。

いわなくてもいいことですが
「泉州玉」の「玉」はタマネギのことじゃなく
玉子ですよ。

「かしみん玉」の「かしみん」は
「かしわのミンチ」を縮めたことばかな。

じゃ!ありませんね。

ころころした鶏肉が入っています。
ちなみに関西では柏色の鶏ではなく
フツーの鶏でも「かしわ」と呼ぶ人が多いのですが。

ん!?
「かしみん」は
その「かしわ」と
「牛のミンチ」の組み合わせもいうらしい。



日替わりの 500 円ランチがあったり
9 月は生ビール半額セールをしていたり
そんなに高くもないのですが。
怒号が飛び交うなんてね。

ずぼらな私は気にはならなかったのですが
同席の知人は
テーブルの片づけが遅く店内の清掃が悪いと
終始おかんむり。
「ごめんなさい」
誘った私が悪いのかな。

私がイヤだったのは
トイレの我慢ならない異常な臭気?!

料理が遅いのは
お好み焼きを調理してから出すので
少々の時間は覚悟しなければならないでしょうけど
それを割り引いても
これは従業員の絶対数が足らないからじゃないの。

ということは経営者の問題でしょう?!
周辺に店舗が少ないので
仕方なく大勢がつめかけてくるようで!
どんな対応でも万々歳なのかな。
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