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わが家のそらまめごはん [七面鳥六目半ごはん]

さやを空に向けてつけるので
ソラマメというのじゃなかったですか。

貝原益軒(1630 ~ 1714)も
著書/大和本草/に
そう書いていると習ったような。

わが家の放任栽培のソラマメ。
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みんな先を下に向けた実なんですが。

おかしい。

JR大阪駅の上の天空の農園に
ソラマメの確認に行きましたが。
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ここのはやっぱり!ウワサ通り。
先を空に向けて直立していますね。



ソラマメは相当古くに
日本にやってきていたのでしょうか。

方言というのか!地方名が多いような。
祖母はナツマメといっていましたが。
初夏に収穫するので。

古名はテンジクマメとかトウマメとか。

中国あたりから渡ってきたので
「天竺豆」「唐豆」ですか。

ん?!
唐豆!?
「カラマメ」とも読めませんか。

「唐豆」の字より簡単にだれかが「空豆」と書いたりして?!

「空豆」は「ソラマメ」と読めて?!ばんざ~い!

実のつき方ではなく
漢字表記がソラマメになってしまったのかも。



わが家のソラマメで
炊き込みごはんを炊いて命をつなぎます。

炊き込みごはんには絶対「鶏の皮」だといっていた
大きなお屋敷の刀自(とじ)がいましたね。

「鶏の皮」じゃないといいだしが出ないとか。

あ!?
鶏の皮がありません。
私の周囲には鶏の皮だけは売っていません。

焼き鳥として
串に刺して焼いたものは売っていますが。

塩焼きの皮を求めて
串を抜いて使いましょう。
塩味があっていいかも。



洗い米に皮と昆布と
わずかな塩を入れて炊飯器のスイッチ・オン。

スイッチが切れたとき
下茹でしたソラマメの皮をむいて加えました。
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昆布は捨てません。
きざんで混ぜました。



いろんなことを思い出されるごはんでした。

ん?!

天竺豆とか唐豆は
エンドウとかナタマメとかの古名でもあるとか。

「唐豆」から「空豆」に移行したという仮説には
無理があるのかなぁ。
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神戸市西区の山中彷徨 [野道!山道!恋はけもの道!]

神戸市西区の
雄岡山(おっこさん or おっこうさん)の
ふもとで立ち尽くしました。

いきなり余談ですが
神戸市西区といっても広うござんす。
神戸市の面積の 30%が西区なんです。

隣接の北区は実に神戸市の 44%を占めています。

地図を広げると
他の区は海沿いに肩寄せ合ってこじんまり並び
上から北区と西区がまるで!
横綱・武蔵丸(230kg)が
芦田愛菜(あしだまな 9 歳)に
柔道の縦四方固(たてしほうがた)めを決めたように
どっかりおさえ込んでいます。

なかなか卑猥(ひわい)な市です。

ま!地図を見て「エロ」を感じるやつは
あんまりいないだろうと思いますけどね。



閑話休題。

ここから神戸ワイン城の方に
近道して抜けたいのですが。

20 数年前の
ハイキングのガイドブックには道があります。
が!まったく分かりません。

行きつもどりつしていたら
咲き乱れるバラの中から
ご夫婦が声をかけてくださいました。

自宅の広大な庭に無数のバラを愛培されています。

今を盛りに輝くバラの花園を拝見。

すごいですね。

ちなみに花の写真をブログに掲載されるそうな。
残念ながら
アドレスを聞きもらしてしまいましたが。



急きょ!
ご夫婦が案内してくださることになりました。

30 年前に歩いたきり。
最近!歩いている人も見ないとか。

笹などで紛れています。
しっかりしたハイキング道が
残っているところも多いのですが。
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悪戦苦闘の末
池にたどりつきました。

大将軍池らしい。
向こうが明るい!里が近い。

もう大丈夫。
ありがとうございました。
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ご夫婦とここでお別れしました。



しかし!ここから里に出る道が分かりません。

たまたま畑仕事をしていた
刀自(とじ)を遠くに認めて
ほうほうの体でたどりつき尋ねます。

「今はだれも歩かないから」とかで
細い畦道しかないようでした。

住吉神社まで降りてきてひと休み。
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保育園の野外活動かな。
にぎやかです。



なんだか納得がいきません。

地図を見ていたら
大将軍池より西北に西谷口池が認められます。

そのルートの方が簡単に抜けられたのでは?!

試行します。

あれ!アート?!
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田植えを待つたんぼになにかあります。

芍薬かバラの花びらを捨てていたのかな。
なんか所か点在するピンクのゆらぎ。
芸術のようでした。
芸術になるんでは。

西谷口池まではいい道でした。
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しかし!ここから先は?!



今思えば
池の西側を歩けばよかったのかも知れませんが
先ほどのルートにこだわって
池の東側に入れば!急斜面だけ。

ここで害虫や害獣におそわれたら
逃げられないと思いながら
樹木につかまりながらはい上がれば
不安は増すばかり。

やっと!道だったようなところ。
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これが先ほど歩いた道なんでしょうか!
分かりません。

イノシシのエサを探した跡がつづいています。

イノシシが歩けるのなら人間でも大丈夫!たぶん。

なんでも食べていそうなイノシシも
この茸は嫌いなのか!たくさんありますね。
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なんか往路とは違うような気もしながらもどれば
突然!里に出ました。

ご案内くださったバラ園のお宅から
ちょっと西に出ていました。



(敬称略)
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楽農レストランかんでかんでのビュッフェ [たべほ!ブフェ!バイキング!]

神戸市西区の
雌岡山(めっこさん or めっこうさん)から下れば
果樹園が広がっていました。

その中にきれいな建てもの群がありました。
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「兵庫楽農生活センター」だとか。

気軽に「農」を体験する施設ですか。

レストランもありました。
屋号が「かんでかんで」!
このあたりの住所が「神出(かんで)」ですから。



ビュッフェだけですか。
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明るくて清潔そうな店舗。
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ひと口ずついただきます。

強い日差しの中を歩いて
ほてった体に冷たい黒豆茶がおいしい。
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野菜が多いですね。
酢を多く使っています。
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最近!胃が情けなく
人並みになって(?)すぐ満腹感。
白いごはんを食べる余裕がなくなったので
肉じゃがで生野菜を食べます。あは。
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デザートを少し。
アイスコーヒーで。
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充分いただきました。



おなかを抱えて散策。

これは疏水(そすい)でしょうか。
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「淡山(たんざん)疏水」?!

先の晩秋
志染川(しじみがわ)を渡っていた
御坂(みさか)サイフォン橋を見ましたが
拙ブログ2013/11/21
あれが明治 24 年(1887)竣工の
淡河川(おうごがわ)疏水でしょうか。

大正 4 年(1915)竣工の山田川疏水と
このあたりで合流して
淡山疏水となって流れているのかも。

水が少しだけよどんだようにあります。

しばらくたどったら
分水所がありました。
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いくつかに配水する水門施設。
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下流にもっと大きな円筒分水工の
練部屋(ねりべや)分水所があるそうですが
おなかがいっぱいで木陰で休憩ばかり。
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雄岡山 雌岡山 [野道!山道!恋はけもの道!]

神戸電鉄の緑が丘駅で降車。
神戸市西区の雄岡山を目指します。

「雄岡山」は
「おっこさん」と
ルビを打たれている場合が多いのですが
私は「おっこうさん」じゃないかと思うのですが。

地元の人の発音もそう聞こえますが。

ちなみに大昔は
男牛山(おごさん)だったという説もあるそうな。
この漢字でそう読むとは、、、
なにがあるのでしょうか。

緑が丘駅の北側は三木市。
そちらには仕事やハイキングで
なん度かおじゃましているのですが
南の神戸市側に訪ねた記憶はありません。



雄岡山にも初めて登るような。

ああ!そびえていますね。
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なんか!イヤな気分。
気温の高い日。
しんどそう?!
弱気が頭をもたげます!根性がないもので。

それでも新緑の山に取りついたら
木漏れ陽の道をほぼ直登。
あっけなく!駅から15 分で征服。
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向こう側に下れば
10 分もかからずに舗装の道に出ました。
案ずるより産むがやすし。



ほぼ西に
同じようなまんじゅうの形をした山があります。
雌岡山(めっこさん or めっこうさん)です。
雄岡山を男牛山(おごさん)と呼ぶのなら
女牛山(めごさん)です。

離れたところからなら
2 山がブラジャーを置いたように見えるはず。
見えなかったらごめんなさい。

ブラの谷間を歩いて雌岡山に向かいます。
谷間に大皿池と金棒池が並んでいます。

雄岡山と雌岡山が競争したそうな。

棒を立てて
それを芯にして土を盛って
高さ比べをしたのです。

どちらもゆずらなかったのですが
突然!雄岡山の棒の先が折れて!勝負あり。

それで標高が
雄岡山 241m
雌岡山 249m で雌岡山の勝ち!
普通!雌雄があれば
大きい方をオスにするのにね。

そのとき折れた棒が
突き刺さった後にできたのが金棒池。
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まぁ!ずいぶん昔のことでしょうなぁ。
だれが見ていたのやら。

ちなみに弁慶が
金棒を両山に差し込んで盗んで逃げようとして
踏ん張った跡が金棒池だという人もいるそうな。

ホントに見たんか!?



雌岡山に登ります。

山頂はどこか分かりませんでしたが
山頂とおぼしきところに
神出(かんで)神社がありました。
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境内は遠く南の瀬戸内海に向けて開けています。
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形のいい木がありますね。
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ケヤキなんでしょうか。
自然にできたの?!



ぎゃっ!?
突然!目前に!モスラ?!

モスラの幼虫!

鼻の先!数センチ!
シャクトリムシが下がっていました。

帽子にシャクガの幼虫が 3 匹も!
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先日!福知山線の廃線跡で
ぶりっこしていたのかどうか
絶叫していた(拙ブログ2014/05/09
アラフォー(around 40)の
お色気女史を笑えませんね。

かの女が見ていなくて!
エかったぁ。



雌岡山をころがるように下りて車道に出たら
「日本標準時子午線表示柱」の石標。
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雌岡山の真南に
明石市立天文科学館があるのですね。

そういえば!先ほどの境内で
霞のかなたに明石海峡大橋があったような。



「行然庵」という店舗先で米をついています。
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まるで水車つきのように
ゆっくり杵(きね)が上下しています。


動力が水車の代わりに電動機ですね。

これはおいしいごはんが炊けそう。

昔!水車で玄米をついていたような。
もちろん!
おとながついているのを見ていただけですが。

遠い!遠い日!
五月の空がまぶしい。
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駒川探検記 [わが街・下駄ばきドドンパ]

大阪市生野区林寺 4 丁目。
今川に架かる橋の上から見ると
左岸に小川が流れ込んでいます。
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小川ほどの幅員ですが
渓谷のように深い底に水があります。

ここが駒川の終焉でしょうか。

駒川といえば
駒川商店街しか思いつきません。
大阪市では
上位 3 指に入りそうなにぎやかな商店街。

ちゃんと川が流れているのですね。

さかのぼります。

すぐ!奥村橋。
橋のたもとに崩れそうな石碑が残っています。
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大坂(大阪)と奈良を結ぶ街道が
駒川を渡るところに
1853 年
奥村某という奇特な人が
米寿の記念に石橋を架けてほめられて
橋の名前になったそうな。



このあたりはよどんでいて!透明度が悪く
水の動きが見えません。
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「川のよどみをバカにしちゃいかん」

といっていた今は行方不明の老人の顔が
五月の空を写す水面に浮かびました。

  川のよどみに 石を投げる
  なんという寂しい 水の音か

カラオケ喫茶に連れて行ってくれて
石原裕次郎の歌を聞かされました。
聞きたくもなかったのですが。
私は上手でも下手でも
シロートの歌を聞くなんてのは
千日回峰行よりつらいのです。
千日回峰行をしたことがありませんが。

老人は歌いたかっただけかも?!
それだけの思い出がふっと脳裏をよぎります。
ああ!なにかのたたり!?おぞましい。



結構!水草はあります。
死の川でもないような。

ああ!アカミミガメ!
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ここにもたくさん棲んでいるようです。
顔の両側の赤い色がおぞましい。

小橋がやたら架かっています。
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ん?!
左岸しか川沿いの道はないのかな。
右岸の家のエントランスが橋なのかも。



有名な駒川商店街の北の入り口に着きました。
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ここから南に 540m アーケード街がつづきます。
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その商店街に並行して西側に駒川があります。
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このあたりでは
透明度のある水がさらさら流れています。

お!すごい。
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川の上に遊歩道を造っています。
この川沿いはずっと建て込んでいて
公道の幅員がないんですよね。
スペースがないところで考えましたね。
大阪市も少しは頭を使っていますね。

なんと!この狭い川も一級河川のようです。
が!大阪市が管理を委託されているようですね。



水底だけ見たら清流のようになりました。
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カルガモのカップルが昼寝しています。

ついに行き止まり?!
暗渠(あんきょ)みたいで!格子がはまっています。
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東住吉区鷹合 3 丁目あたり。

水はふたつのパイプみたいなところから出ていますが。
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ここまで川の長さは 3.5km くらい。



このまま南に川の跡のような道路がつづいています。

道なりに歩けば 15 分ばかりで大和川に出ました。

下高野橋があります。
下高野橋は架け替え工事をしていました。

しかし!どこを見ても水の取り込み口がありません。
架け替え工事でふさがっているようにも見えません。

堺市側に渡って上流から見ても!
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下流に移動して見ても。
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大和川はもともとここにはなかった訳です。

1704 年に付け替え工事が施工され
駒川は突然!横っ腹から断ち切られたのですね。

下高野橋のほぼ真南!かなり離れたところ
地図で見ると 10km ばかり南に
狭山池があります。

そこから流れてきていたらしい。
今もそのルートに西除川という川を認められますが
その東側にあった川らしい。

下高野橋から西の方に依網池(よさみいけ)という
日本最古のため池があったらしい。
大和川がやってきて取り込まれて
今は消滅しています。
そこも駒川の源流だったようです。

とはいうものの
今!流れている以上!今の源流があるはず。
あのパイプのようなところから出ている水は
なんなのでしょう。



(追記)
東住吉区のHPによると
あのパイプからの水は
大和川とは縁がありませんでした。

大阪市平野下水処理場からきているようです。
砂濾過された高度処理水が
駒川の源流だったのですか。



(敬称略)
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