鴻池新田会所 四季彩々とおり [町道!街道!眠り未だ足らず]
表門だけでも!すごいですね。
JR鴻池新田駅の南に
鴻池新田会所(東大阪市)がありました。
鴻池家が新田開発し
240 年間も維持・支配した拠点ですね。
まるで時代劇に出てくる
代官所みたいな門をくぐります。
代官所みたいなじゃなく
実際!司法権も持っていたのですね。
幕府や諸大名を金銭で!裏で!操っていたようなので
自分の地のもめ事を裁くぐらい
幕府から許されていたのでしょう。
今は庭園のこのあたりに
「お白洲(しらす)」があったのでしょうか。
ずらずらと並んでいる建てもののうち
5 棟が重要文化財だそうですが
敷地内に先祖を祀(まつ)っている神社だってあります。
人力(!)米搗き装置!
水車利用の米搗きは試してみたことがあるのですが
搗き上がるまでどのくらいの時間がかかるのやら。
新田開発の前の鴻池新田の場所は
「新開池」とか「ないすけ渕」とか呼ばれていた
広大な湿地だったようです。
大和川が流れ着いて寝屋川にぶち当たれば
淀川が待ち受けていた地ですから。
1704 年に大和川をねじ曲げて堺の方へ付け替え。
大規模な水害はなくなり
湿地の開発が始まったのですね。
30 を越える新田が生まれたとか。
その中で鴻池新田が飛び抜けて大きな面積で
ずっと鴻池家の支配のままだったとか。
こんな家の跡取りになったら大変。
すごい器量がないとね。
こんな家に嫁いだら大変。
賢明の上に聡明でないとね。
縁がなかってよかったと思いましょうよ。
「鴻池四季彩々とおり」がありました。
東西にほぼまっすぐ延びています。
新田にはクリーク(水路)だらけだったはず。
その役目を終えた 1 川を遊歩道にしたのですね。
ただし!水路は埋めてまた新しく造ったのかな。
下水の処理水を流しているようです。
川底には砂のところもあるのですが
コンクリートが多く
小さなコイ(鯉)が居心地悪そうに泳いでいます。
ドイツボダイジュ。
姉妹都市から贈られたものらしい。
同じく姉妹都市の樹・スモークツリーもありましたが。
およそ 3km ほどの遊歩道でした。
まだ残っているクリークがあります。
「鴻池四季彩々とおり」の南に並行している五箇井路。
ゴミだらけのにごった水が
動いているのやら!溜まったままなのやら。
「釣れますか?」と問えば
「ひなたぼっこです」
「ま!ときどきコイがかかることも」と
老釣り人の弁。
クリークの横の産土(うぶすな)神社。
横から入れば
鳥居に「寛政十三年(1801)」の銘があります。
「文化十四年(1817)」の狛犬は厳重な檻に入っています。
風化が激しいのやら。
神社の正面の鳥居は「安政四年(1857)」
燈籠は「寛政三年(1791)」
手水鉢は「文化二年(1805)」とありますが
昭和になってからいくつかの神社を合祀(ごうし)して
この場所に造営したとか。
さらに南に六郷井路。
ここもよどんでいますね。
秋の空と雲はきれいに映ってはいましたが。
JR鴻池新田駅の南に
鴻池新田会所(東大阪市)がありました。
鴻池家が新田開発し
240 年間も維持・支配した拠点ですね。
まるで時代劇に出てくる
代官所みたいな門をくぐります。
代官所みたいなじゃなく
実際!司法権も持っていたのですね。
幕府や諸大名を金銭で!裏で!操っていたようなので
自分の地のもめ事を裁くぐらい
幕府から許されていたのでしょう。
今は庭園のこのあたりに
「お白洲(しらす)」があったのでしょうか。
ずらずらと並んでいる建てもののうち
5 棟が重要文化財だそうですが
敷地内に先祖を祀(まつ)っている神社だってあります。
人力(!)米搗き装置!
水車利用の米搗きは試してみたことがあるのですが
搗き上がるまでどのくらいの時間がかかるのやら。
新田開発の前の鴻池新田の場所は
「新開池」とか「ないすけ渕」とか呼ばれていた
広大な湿地だったようです。
大和川が流れ着いて寝屋川にぶち当たれば
淀川が待ち受けていた地ですから。
1704 年に大和川をねじ曲げて堺の方へ付け替え。
大規模な水害はなくなり
湿地の開発が始まったのですね。
30 を越える新田が生まれたとか。
その中で鴻池新田が飛び抜けて大きな面積で
ずっと鴻池家の支配のままだったとか。
こんな家の跡取りになったら大変。
すごい器量がないとね。
こんな家に嫁いだら大変。
賢明の上に聡明でないとね。
縁がなかってよかったと思いましょうよ。
「鴻池四季彩々とおり」がありました。
東西にほぼまっすぐ延びています。
新田にはクリーク(水路)だらけだったはず。
その役目を終えた 1 川を遊歩道にしたのですね。
ただし!水路は埋めてまた新しく造ったのかな。
下水の処理水を流しているようです。
川底には砂のところもあるのですが
コンクリートが多く
小さなコイ(鯉)が居心地悪そうに泳いでいます。
ドイツボダイジュ。
姉妹都市から贈られたものらしい。
同じく姉妹都市の樹・スモークツリーもありましたが。
およそ 3km ほどの遊歩道でした。
まだ残っているクリークがあります。
「鴻池四季彩々とおり」の南に並行している五箇井路。
ゴミだらけのにごった水が
動いているのやら!溜まったままなのやら。
「釣れますか?」と問えば
「ひなたぼっこです」
「ま!ときどきコイがかかることも」と
老釣り人の弁。
クリークの横の産土(うぶすな)神社。
横から入れば
鳥居に「寛政十三年(1801)」の銘があります。
「文化十四年(1817)」の狛犬は厳重な檻に入っています。
風化が激しいのやら。
神社の正面の鳥居は「安政四年(1857)」
燈籠は「寛政三年(1791)」
手水鉢は「文化二年(1805)」とありますが
昭和になってからいくつかの神社を合祀(ごうし)して
この場所に造営したとか。
さらに南に六郷井路。
ここもよどんでいますね。
秋の空と雲はきれいに映ってはいましたが。