SSブログ

大相撲!大阪場所観戦記 [いずれ あやめか かきつばた]

大相撲大阪場所!開催中です。

なにがあるのか知りませんが
今年(2015)は早くから全席完売です。
ないといえばほしくなるのが
あまり賢くない人たちの悲しい性(さが)
あちこちから
チケットはないかといってきますが。

当日だけ販売の自由席ならありますよ。
朝早く並んで買わねばならないでしょうけど。

鼻を明かすほど
ひねくれてはいないつもりですが
それほどの人気なら
ナイショで買いに行ってみましょうか。

買えて!
倍の値段でだれかに売りつけられれば!?
バンばんざい!



早起きしてきましたよ。
6 時 40 分。
太鼓をたたくやぐらが作られている
府立体育会館(愛称を身売りしていますがね)。
blog01.jpg

行列が正面から横に曲がっていませんね。
ということは 50 人は並んでいませんね。
blog02.jpg

楽勝です!楽々整理券をゲット。
blog03.jpg

あ!これは整理券の裏。
表は日本語ですよ。


場所も初めの方は朝も早くから取り組みがありますが
この日は 13 日目(2015/03/20)
相撲は 10 時半から。
でも!入場は他の日と同じように 8 時半。

とりあえず!自由席の席を確保して。
blog04.jpg

持ってきたざぶとんと
盗まれてもいいように
焼酎の空瓶を入れた紙袋をひもでしばりつけます。はは。

自由席は 4 隅のほとんどデッドスペース。
それでも!少しだけでもいい席を。
正面側がよろしい。
向こう上面なら
花道には近いけど
力士の後ろ姿ばかり。
電光表示板も裏を見るばかり。



とりあえず!(とりあえずばかりですが)
ま!ちんころ犬の匂いづけみたいに
館内をぐるっと回っておきます。

これがマス席。
blog06.jpg

1.3m 角です。
ここに 4 人!
恋人同士なら抱き合えばいいのですが。

マス席の最後列にペアシートというのがあります。
blog07.jpg

大きさはやっぱり 1.3m 角ですがふたり席。
足を伸ばして座っています。



朝の支度部屋は閑散。
blog08.jpg

巡業部(兼?)記者クラブの前では
往年のスター力士の親方ふたりがひそひそ。
blog09.jpg

車いす置き場。
blog10.jpg

マス席の下。
blog11.jpg

前にきたとき
無茶苦茶高かった自販機の飲みものが世間並み。
blog12.jpg

!?
blog13.jpg

ま!気をつけましょう。



あんまりすることがないので外に出ます。
再入場は 1 度だけ!と
いつも怒ったように念を押されますが。
やさしくいってよ!ガラスの心臓ですのに。

ああ!どこに行ってましょうか。
横堀川は遠いし。

大正のころの大阪の相撲のざれ唄があります。

 大阪どこかい 横堀(よこぼり)かい
 横堀どこかい 三保ケ関かい
 朝かい 晩かい 昼もかい

そのころは大阪相撲の全盛期。
三保ケ関部屋には
200 人を越える取的(とりてき)が
ひしめいていたそうな。

当時の下っ端の相撲取りは食えず
食わせてもらえず
アルバイトで食いつないでいたそうな。

上記の「かい」は「櫂」!?
相撲取りの仕事先は
なぜか蒲鉾(かまぼこ)屋が多かったそうです。
それとも
三保ケ関部屋は蒲鉾屋と関係があったのかも。
どちらにしても
1 日中!櫂をこねまわしていたのですね。

昭和の初め(1927)に
その大阪相撲も東京相撲と合併してしまいましたが。



大阪相撲の名残りもたくさんあるらしい。
「タニマチ」なんてことばなんかも。

タニマチは
スポンサーとか援助交際(!)とかいう意味の
あくまでも裏のことば?!
あんまり上品ではない隠語だったはず。

寺院は宿舎に便利で
寺院が並んでいる谷町は
三月場所の宿舎も必然的に多く集まり
そこに出入りする
金持ちのことを指すようになったという説が
一般的でしょうけど。

三月場所が定着したのは
昭和 28 年(1953)ですけどね。
タニマチはそれ以前からあることばじゃないでしょうか。

谷町の医者にたいそう相撲好きがいて
たくさんの金銭を
つぎこむ人がいたという説も有名ですが。
その医師の名前が
萩谷だったり!薄だったり!
医院の場所も人によって異なっていたり。

ま!大変です!考えるのはやめましょう。



だれもチケットがほしいといってきません。
こうなりゃ!最後まで見ますか。
仕事が忙しいのに。(ウソついてすみません)

相撲見物は 1 日かかります。
ランチしなければなりません。
地下にレストランがあります。
零細工場の食堂のようにとても殺風景です。(失礼!)
blog05.jpg

でも!値段は一流だわさ。
blog14.jpg

体育会館の前の道の向こうの
居酒屋の勝太鼓(かちだいこ)の
ワンコインランチ(税込)!筑前煮定食。
blog15.jpg

おいしかったですよ。

ちなみに「豚肉生姜焼き」「さば塩焼き」
「牛肉しゃぶしゃぶ」等 10 種類ばかり
みんな 500 円でありました。
写真のうどんは半玉。
1 玉なら 50 円増し。



午後になると関取たちがやってきます。
blog16.jpg

さすがに電車ではきませんね。

相撲茶屋!
今の正式名称は大相撲案内所というのだそうですが。
blog17.jpg

若い衆は
芝居で見る人力車夫のようなスタイルですね。
blog18.jpg

相撲茶屋の従業員は
若くても死にかけでもみんな
「若い衆」と呼ぶことになっています。

木戸を通ったところ。
blog19.jpg

関取の入り待ちのファンたちがたむろしています。



あああ!カメラの電池が赤信号。
ハイキングでは
予備の電池とカメラを携帯していますが
不覚にもなんにも用意していません。

ここから電池をだましだまし!こわごわ撮影。
面白いこともなくなりました。

ん!?
使用禁止席でしたよ。
blog20.jpg

大勢平気で座っています。
blog21.jpg

日本語の読めない外国の人が?!
漢字の読めない日本の人も!?

中入り後には満員御礼の幕が下がりました。
blog22.jpg

そりゃそうでしょ!
チケットがないのですから。
それでかどうか!
場内は倫理もマナーもなくなるような
混乱ぶりでしょうか。



最後にざぶとんが舞いました。
blog23.jpg

結びの一番で横綱の白鵬が負けたのです。

電池が切れてももういい!
シャッターを切りまくったのですが
傑作は撮れませんでした。はは。
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

南朝の皇居 賀名生梅林 日本一の路線バス [みんなで歩けばこわくない]

正面の丘に
北畠親房(1293 ~ 1354)が眠っています。
川沿いの藁葺(わらぶき)の邸宅が「皇居」です。
blog01.jpg

「え?!」

アラフォー(around 40)のおね~さんは
納得がいかないようですね。
千にみっつも真実のない私がいうのですから
無理もないですか。

「皇居前橋」を渡ります。
blog02.jpg

きつね(狐)につままれたような顔を
しないでくださいね。

皇居の門です。
blog03.jpg

ね!扁額に「賀名生(あのう)皇居」とあるでしょ。
blog04.jpg

ここ賀名生(奈良県五條市)は南朝の
後醍醐天皇(1288 ~ 1339)と
その子・後村上天皇(1328 1368)の
身を隠した里なんですよ。

どれほど歴史的に
重要なものかどうか分かりませんが!皇居です。



現代の春の賀名生(あのう)は梅の花の里です。
blog05.jpg

平地は見あたりません。
急斜面を上に上に
2 万本ばかり植樹されているようです。
blog06.jpg

梅の果実を採るための栽培です。
受粉に蜜蜂の手助けを借りています。
blog07.jpg

大丈夫です。
春の蜂は刺しません。

「絶対に!?」

たぶん!
私は刺されるのを見たことがありません。
でも!刺されたらごめんね。

まだまだ最上部には遠いですが
だいぶ!高度を稼ぎました。
blog08.jpg

見晴らしのよい弓箭堂(ゆうせんどう)さんの庭で
ランチをさせてもらいましょう。
blog09.jpg

近年数回!この梅林にきている私ですが
うんと大昔!
最初にきたとき!だれかときたとき!
それがだれだったかにわかに思い出せませんが
ここでランチしたような。
なぜか!そのことだけを記憶しているのですが。



梅の木の下にある「ふきのとう」は
容易に採れそうですが
いけませぬ!泥棒になります。
茶店で売られている「ふきのとう」を
買って下ります。

梅の花のトンネルです。
blog10.jpg

上りより楽ですけど。
blog11.jpg

花に感動して泣いているんですか。
blog12.jpg

下りは汗をあまりかかないのに!
おね~さんの可愛い顔がくしゃくしゃです?!

花粉症?!
梅の花粉のせいですか!?
可哀そう!
この里では逃げようがないですね。
縁談が舞い込んでも断らねば。残念。

「あなたの発想はいつもつまらん!」

いつもザックに
「ティッシュ」を 1 箱入れています。
なにもしてあげられないので
これを箱ごとさしあげますので
ご機嫌をなおしてつかぁさい。

あんまりこすると
また!眉がなくなりますよ。



帰路!日に数本しかない路線バスに乗れました。

あ!このバス!
和歌山県の新宮からきたのですね。
奈良県の八木行きです。

「日本一長い路線バス」と書いてあります。
blog13.jpg

バスはほぼ満員でしたが座れました。
通路に補助いすがあったのです。

立ったまま長距離・長時間乗るには
相当無理があります。
路線バスなのに
なるべく大勢の人が座れるような配慮かも。

私たちは奈良交通のバス停の
五條駅(ちなみにJRは五条駅と書きます)で
下車しましたが運賃 400 円。

料金表の
整理券の番号 1 は
(たぶん!始発からの人でしょうけど)
4,500 円と表示されていました。
終点まで行けばもっとかかりますね。

日本一長い路線は
日本一の運賃に違いありません。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

五新鉄道跡 2015春 [みんなで歩けばこわくない]

紀の川ですが。
blog51.jpg

ここ大和の国では
吉野川と呼ばねば土地の人は不機嫌になります。

幻の五新鉄道を歩きますよ。
blog52.jpg

幻です!線路はありません。
blog53.jpg

奈良県の五條市から
和歌山県の新宮市まで
山地を貫いて走るはずだった五新鉄道。

昭和 12 年(1937 年)から 20 年かけて
路盤工事が完成したらしいのですが
ついに!汽車は走らなかった鉄道跡です。

遠(とお)に半世紀以上経っているのに
今なお!たくさんの残念な面影が残っています。
拙ブログ 2011/03/15



あたたかい。
急いで梅が開花し始めたようです。
blog54.jpg

鉄道跡ですから
極端な勾配もなく
ま!単調なのどかな道をひたすら歩くのみ。
ちょっと農道に似ています。

吉野川第二発電所。
blog55.jpg

これがちょっと変わった風景くらい。

梅がほほえめば
アラフォー(around 40)のおね~さんも
軽やかなステップ。
blog56.jpg
blog57.jpg
blog58.jpg

早春とはいえないあたたかさ。
おね~さんはどんどん脱いでいっていますが。
裸にならないでくださいね。
めったに人に遭遇することもないので
それでもかまわないですか。
blog59.jpg

ああ!ずっと太陽に向かって歩いているので
私のウデでは逆光のぼんやりした写真ばかり。



わ~い!トンネルです。
blog60.jpg

人間の目は精巧で
向こう側の明かりがはっきり見えるのですが
思ったより遠いですよ。
昔!歩幅で計測したら
800m 以上あったような。
懐中電灯を点けてくださいね。
blog61.jpg

20 分もかかって!やっと出られました。
blog62.jpg

トンネル内の写真は
ピントがどれもこれも合っていません。
なにか!無念の霊のせいかも。

「いやなこと!いわないで」



紀の川(吉野川)支流の
丹生川がくねくね流れています。

この線路跡は直線的に
それをなんども横切ってつづいています。
blog63.jpg

渡水復渡水
  みずをわたり また みずをわたり
看花還看花
  はなをみ また はなをみる
春風廃線路
  しゅんぷう はいせんのみち
不覚涙恋霞
  おもわずなみだす こいのかすみに

なんて!浮かんできました。
いつもからからと軽やかですが
より軽やかになった脳みそに。

花と清流と
童女のように!いや失礼!
少女のようにこじんまりとしたおね~さんの
後ろ姿を見ていたら。

漢詩にあらず。
知っている漢字を並べただけで!すみません。
明の高啓(1336 ~ 1374)の
「尋胡隠君」のパクリですが。

あくまでも絵空ごとの恋の霞ですよ。



このあたり!五條市になってしまいましたが
この前まで西吉野村だったような。

西吉野村は柿と梅が有名です。
柿と梅の混植の中を進みます。
blog64.jpg

害獣!たぶん!
イノシシ(猪)捕獲用の檻(おり)かな。
blog65.jpg

JR五条駅(ちなみに市は五條市と表示)を
出てから 2 時間。
瓜坊(うりぼう)!いや失礼!
子鹿のように元気ですね。
休憩しなくてもいいですか。
blog66.jpg

じゃ!もう少し頑張ってくださいね。

この日ふたつ目のトンネル。
blog67.jpg

懐中電灯を出さなくても大丈夫。
カーブしているから向こうは見えなくても
短いから。

トンネルを抜けると
賀名生(あのう)の里です。
blog68.jpg
タグ:廃線
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

いかなごのアヒージョ [お命!いただきます]

またまた!煎り豆が回ってきました。

例年 3 月ごろには
節分の残り豆が出てきます!
不思議に!私の周囲では。
みなさん!処分に困るころかな。
ただなら喜んでもらいます。

深夜!ぽりぽりかむばかりでは芸がないので
惣菜を考えます。

梅肉(梅干をたたいたもの)で和えて
しばらく寝かせておきます。

いい生味噌があれば
日本酒で伸ばしてから
漬け込んだらどうでしょう。
よく乾燥した昆布を
荒くもんで加えておきます。
blog01豆.jpg

数日!冷蔵庫に入れておけば
乾燥した豆がほどよく湿ってきます。

炊き立てのごはんに!
箸休めに!
酒の肴の 1 品に!
私の好きな味ですが。

味噌好きでしょうね!私は。
北條時頼(ほうじょうときより)のように。

徒然草(215段)の「こと足りなむ」です。

北條時頼と平宣時(たいらのぶとき)が
夜中にわずかな味噌を肴に
「こと足りなむ」といって
愉快に酒を飲んだ
逸話がありますが。(拙ブログ 2009/02/12



春のアヒージョを作ろうと考えていたところ。

オリーブ油に
みじん切りのにんにくとハーブ塩を入れて加熱し
沸いてきたら
鷹の爪と生のローズマリーを放り込み
節分の残った福豆入れてから
今が旬の釜茹でのいかなご(玉筋魚)を入れます。

ぐつぐついえば
庭のたんぽぽ(蒲公英)の葉を入れましょう。

食用たんぽぽ(セイヨウタンポポ? dandelion)は
冬の摘み草に使って
まだ小さなロゼッタ葉しか成長していなかったので
柔らかく伸びていたシロバナタンポポの葉を使います。

たぶん!同じような味だと思うのですが
よいこはマネしなくてもいいですよ。

醤油をほんの少し振ったら!春のアヒージョ!
blog02アヒージョ.jpg

ホントのアヒージョはどうだか知りませんが
オリーブ油をバゲットにつけて食べれば
今日 1 日の憂いも
明日の不安も消えて
しみじみ春に浸れます。



緑樹交加山鳥啼
  りょくじゅこうかして さんちょうなき

晴風蕩漾落花飛
  せいふうとうようとして らっかとぶ

鳥歌花舞太守酔
  とりはうたい はなはまい たいしゅはよう

新緑。さえずる山鳥。
空は晴れ!風に花が飛ぶ。
鳥が歌い!花が舞えば太守は酔うもの。

北宋の欧陽修(1007 ~ 1072)の詩
豊楽亭游春/訓読・石川忠久/のように
頭の中!春になりました。

しかし。

明日酒醒春已帰
  みょうにち さけさむれば はるすでにかえらん

酔いからさめた朝には
春はどこかへ行っているのかも。


ああ。



(敬称略)
タグ:徒然草
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

小鳥の給餌器作り! [手のひらを太陽に]

菜の花のような花が冬中咲いていましたが。
blog3.jpg

たぶん!天王寺蕪(てんのうじかぶら)ですが。
なん代もこぼれ種が勝手に育っているので
少々だらしなく咲いています。

ときどきヒヨドリがこの花を食べにきます。

いつか見た(拙ブログ 2013/02/24
須磨離宮公園の梅園のように
アスパラガスの新茎状態にしてくれてもいいのですが
おいしくないのかあんまり食べませんね。

ヒヨドリやカワラヒワや
キジバトやスズメやメジロなら
慎み深く!ベタベタしてこないのでいいのですが
ドバトには閉口します。
嫌いです!
いわゆる大阪の厚かましいおばちゃんのようで。
うん古も大きいし。

スズメには生飯(さば)の気持ちも湧くのですが。
食事の前に自分の食べものの一部を
餓鬼に施す禅の修行の世界の生飯。

それが!
ドバトとスズメの餌が共通しているんですね。
たとえばパンくずや粟をおくと
体の大きいドバトがスズメを追い払い
ひとりじめにしてしまいます。
ドバトは決して平和の鳥じゃありません。



なんとかスズメだけに食べてもらいたい。

昔!小鳥用の給餌器(バードフィーダー)を
作っていました。
買えば高いから。

忘れました。
どのように作ったものかまったく忘れています。
ずいぶん昔の貧乏時代のことですから。
今はもっと極貧ですが。

ペットボトルをひっくり返して
受け皿を固定し
吊り下げて使うようにしていましたね。

スズメ用の止まり木をつけていたような。
ドバトほどの体では細過ぎて
曲がったりして止まれない止まり木。



できました。
blog4.jpg

ペットボトルのふたを皿に取りつけて
下部につつけば粟がこぼれ落ちる穴をよっつ開けて。
blog5.jpg

昔作ったものはもっと芸術的にすぐれて
機能的だったと思うのですが。

ま!いいですか!役目さえ果たせば。

でも!吊り下げても
警戒してだれも寄ってきませんね。

まず下に置いて見せますか。
それでも敬遠しますね!はは。

2、3 日したら!いやに喧(かまびす)しい?!

スズメ団子!?

スズメが四方から集まって
穴をつついています。
粟が!粟が!
どんどんこぼれています。

安全を確認したら!もう早い。
もう少しゆっくり消費してくれませんか。

もう!ドバトに食べられないように
吊り下げてもいいでしょうか。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感