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西陣 上七軒から五番町へ [平安京有情]

京都の五花街のひとつ
「上七軒(かみしちけん)」に出ました。
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  細い露地のような道の両側に
  格子戸のはまった古風な置屋のならんだ風景は
  昔のままであった。

水上勉作「西陣の蝶」の中。
いつごろの風景なんでしょうか。

  上七軒というからには
  もとは茶屋が七軒しかなかったのだろう。
  今は二十軒ほどにふえていることを
  太吉郎もどこからか聞いていた。

川端康成作「古都」にも出てきますね。

古都は昭和 36 年(1961)の発表。
が!時代はそのころかどうか
これまた!知る由もありませんが。

今も小さな花街です。
舞妓・芸妓の総数は 30 人もいるのかどうか。



上七軒を抜けたところに北野天満宮の東門。

境内にたくさんある梅の実がほぼ成熟しています。
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修学旅行生だらけ。

おフランス人の(フランス人に非ず!おフランス人!)
私には修学旅行の体験がありませんが
いいですね!若さがいっぱいで。

旅行中に恋にもだえたりするのでしょうか。
ま!私とは違いますからね。
私は行かなくて!よかったような。

和装に着替えて(?)回っているグループも。
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北野天満宮境内を北から南へ抜けて
上京警察署の方へ道なりに南東に歩きます。
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北野商店街沿いに進みます。
歩道に路面電車のプレート。
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市電は市内の隅々まで走っていたはず。
どうしてこの町はこだわるのでしょうか。
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このあたりは
西陣と呼ばれてきた機(はた)織りの町。

西陣を南北に走る千本通りに斜めからぶつかる手前
幅員のあまりない路地があります。
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  南北に通じるこの通りを中心にして
  東西に入り込む通りを含めて
  凡そ二百軒からなる家々は軒なみ妓楼だった。

水上勉作/五番町夕霧楼/にある説明。

このなんの変哲もない生活道のようにも見える道が
五番町遊廓の中心の道?!



  太吉郎は西陣の機屋や
  また
  地方の得意とよく上七軒で遊んだものであった。

太吉郎は「古都」の呉服問屋の旦那。

つまり!西陣の金持ちの旦那たちや
地方の上得意たちは上七軒で遊んだようです。

上七軒は京都の花街の中でも格式が高いのです。

西陣の職人たちは
こちら五番町遊廓で遊んだのでしょうね。

しかし!どこにも面影が残っていません。
私がいくら注意力散漫なぼんやりだといっても。

だいたい!住居表示がないのです。
たいていどの町に行っても
町の名や番地を書いたプレートが
すぐ目につくものなんですが。

この通りの東に並行する通りに
古そうな映画館がありました。
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まったくの住宅街に!?

これが歓楽街の唯一の名残りなのでしょうか。

あ!
消火器入れに五番町。
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やっぱり!ここがそうなのですね。



あぶくゼニで贅沢三昧!
色恋にうつつを抜かす
有名古寺の坊主や旦那衆たち。

貧しいきこりの娘から遊女になった薄幸な
「五番町夕霧楼」の夕子。

それが!その対比がどうのこうのと
青臭いことをいうのは苦手ですが
この町 200 軒の妓楼に
なん人の「夕子」がいたのでしょうか。
大変な人数、、、かも。

「五番町夕霧楼」の夕子は自ら命を断ちましたが
多くの「夕子」は今いずこ。



(敬称略)
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